【グルメ】「大阪のお好み焼き」は韓国起源!?【韓国】

 先日、「名古屋のお好み焼き」について、まとめました。

rkm.hatenablog.com

しかし、ある疑問が残りました。それについて、調べてみました。

「大阪のお好み焼き」だけが「混ぜ焼き」なのはなぜ?

前回の記事でも提示した疑問です。

名古屋・広島に挟まれた「大阪のお好み焼き」だけが「混ぜ焼き」なのは、なぜなんでしょうか?

この記事では「どんどん焼き」の影響を受けているという説を採ってますが、「どんどん焼き」は重ね焼きらしいので、ちょっと違う気がします(「もんじゃ焼き」の影響なのだろうか?)

news.mynavi.jp

また、次の記事に気になるコメントがついていた。

jpnculture.net

大阪のお好み焼きは、具材を混ぜ込んで作るようにいわれていますが、私67才の子どもの頃から、近所にあったすべての店では今で言う広島式で作られていました。ですから、今の大阪の人達が「広島風なんてお好み焼きと違う」等の発言を聞くと、「いや、あれこそがお好み焼きやで」と言いたくなってしまいます。 私の町では(生野区)今でも、2軒のお店が粉をひいてキャベツを乗せたお好み焼きで、賑わっています。他にも探せば何軒かはあると思います。 広島風などと言わず、あの作り方が主流だったこともあると、どなたか伝えて頂けないでしょうか。

 このコメントが事実とすると、現在の「大阪のお好み焼き」は「どんどん焼き」「一銭洋食」から発展した「お好み焼き」とは別の料理なのではないか?という疑問が生まれました。

 

「大阪のお好み焼き」は韓国起源!?

 同じようなことを考えた人はいるようで、以下の記事が見つかりました。

sirabee.com

日本で有名なお好み焼きの二大巨頭といえば「広島風お好み焼き」と「関西風お好み焼き」である。

どちらも美味しい日本の庶民的グルメとして知られているが、それに納得がいかないというのは、広島県在住の山本さん(仮名)。

彼いわく、「関西風のお好み焼きはじつは韓国起源で、起源の捏造で日本一になった食べ物」で、真の日本発祥のお好み焼きは広島風なのだという。

そして(なぜか元記事が削除されているが)続編の記事がありました。

news.merumo.ne.jp

ただ、この記事を出している「しらべぇ」は、「あやしい記事」(というか「明らかなねつ造記事」)が、たびたび混じるので、記事内容の裏を取ってみます。

2つの記事は「大阪のお好み焼きは韓国起源」「東京のお好み焼きは韓国起源」→「混ぜ焼きのお好み焼きは韓国起源」という根拠として、以下の項目を挙げています。

  1. 粉と具材を混ぜて焼く文化が日本にない
  2. 大阪のお好み焼き屋はほとんどの店にキムチが置いてある
  3. 最初に現代のような形の関西風お好み焼きを出したのは東京の店

 なんか、すでに怪しげなにおいがプンプンしてます。

粉と具材を混ぜて焼く文化は日本にあるのか?

まず「粉と具材を混ぜて焼く文化が日本にない」についてですが、「日本コナモン協会」の情報を確認しました。現代では、混ぜ焼きする料理は「もんじゃ焼き」と「大阪のお好み焼き」(混ぜ焼きのお好み焼き)だけのようです*1

konamon.com

ほかにも長野の「おやき」なども考えましたが「粉と具材を混ぜて焼く食べ物」ではないですね。

もんじゃ焼き」の成立は「お好み焼き」より遅い?

引用記事は「もんじゃ焼き」について、以下のように書いています。

もんじゃ焼きも当時はうどん粉を水で溶いて焼くだけのもので、具を混ぜて焼くようになったのは昭和30年代後半からと言われています。

 これについては、裏付けになる記事がありました。

tripeditor.com

近代食文化研究会『お好み焼きの物語』(新紀元社)を読むと、現在の月島で盛んに食べられている、野菜で土手を作ってその中に汁を流し込むスタイルのもんじゃ焼きは、戦前には見られなかったという記述があります。

(中略)

駄菓子屋では当時、東京の下町で広く食べられていた「文字(もんじ)焼き」と言われるお菓子が人気を博していました。

文字焼とは、小麦粉やうどん粉を水で溶いた茶わん1杯程度の汁に、黒みつやしょう油を入れ、駄菓子屋で焼いて食べる軽食です。

(中略)

ただ、現地でフィールド調査を行った月島に関する学術論文をいくつか読むと、おぼろげながらも、もんじゃ焼き誕生の歴史は見えてきます。

例えば松島誓子著『中央区月島におけるもんじゃ屋の集積プロセス』(2000年)によると、大正時代の月島には131件の駄菓子屋があり、子どもたちは文字焼を大いに楽しんでいたと言います。

<彼らが1940年代から大人向けのお好み焼屋で合わせてもんじゃを出し始めた。アルコールをメニューに入れることで、子供の駄菓子だったもんじゃが大人の食べ物へと位置づけが変わった>(上述の論文より引用)

つまり、もんじゃ焼きは、お好み焼きのサイドメニューとして出されたとの話。

お好み焼きは新紀元社お好み焼きの物語』によると、明治末期にはすでに東京で大ヒットしており、大人がお店で焼いて食べるといったスタイルができあがっています。

そのお好み焼き屋の鉄板を使って、サイドメニュー的に文字焼を懐かしんで出したのだと考えられますね。

 ということは、もんじゃ焼き」の成立は「お好み焼き」より後ですね。

大阪のお好み焼き屋はほとんどの店にキムチが置いてある?

「しらべぇ」の記事に戻って、「大阪のお好み焼き屋はほとんどの店にキムチが置いてある」について、考えてみます。記事には、以下のように書いてあります。

「大阪のお好み焼き屋はほとんどの店にキムチが置いてありますが、広島のお好み焼き屋でキムチを置いてあるところはあまりありません。

豚キムチ焼きなどお好み焼きにキムチを入れて焼く料理も関西風お好み焼きにはたくさんありますよね。これは関西風お好み焼きは韓国人が作ったからだと推測されます。

島風お好み焼きにもトッピングでキムチは確かにあるのですが、これは客の好みに合わせて置いてあるだけでしょう。カクテキやオイキムチまで置いてあるお好み焼き屋は広島にはほぼ無いですよ。」

ただ、この部分全体が広島県在住の山本さん(仮名)」が、個人的な感想を言っているだけで、具体的な根拠は示されていません。

また、「キムチが置いてある」ことと「大阪のお好み焼きは韓国起源」ということは、直接の関係性がありません。なので、理由にはなりません。

 最初に現代のような形の関西風お好み焼きを出したのは東京の店?

「しらべぇ」の記事では、以下のことも言ってます。

「最後に、関西人はお好み焼きを大阪発祥のように言っていますが、最初に現代のような形の関西風お好み焼きを出したのは、昭和12年に東京で創業した『浅草染太郎』です。

浅草の「染太郎」のメニュー記事に、こんな記述がありました。

travel-noted.jp

染太郎ではお好み焼きやもんじゃ焼き、おつまみメニューなど様々なものがありますがその中でも特に人気が高いおすすめのメニューを紹介します。まず最初は店名にもなっている「お染め焼き」です。

 お染め焼きは他のお好み焼きとは違い、焼きそばも半熟卵も入っており染太郎のメニューを一枚でしっかりと味わうことができると人気です。染太郎に初めて行かれるという方にもおすすめのメニューです。

お染め焼きの作り方ですが、まず生地を薄く延ばしその上にキャベツやひき肉、げそや海老をのせます。その上に、ウスターソースで味をつけた焼きそばを置き、中央にくぼみをつけてその中に卵を割り入れます、

 卵を割り入れたあとはひっくり返して3分ほど待ち、その後さらにひっくり返して2分ほど待つと完成します。お好み焼きも焼きそばの麺も、卵も楽しむことができるお染め焼きは食べごたえもあり様々な食感を一口で楽しむことができます。

travel-star.jp

浅草・染太郎へ行ったら欠かすことのできない人気メニューがお染焼きというメニューです。通常のお好み焼きに少しだけ焼きそばの入ったお染焼きは、卵を混ぜずに目玉焼きのような状態で生地と一緒に焼くというこだわりが。

 ある程度生地が焼けてから焼きそばを乗せて焼くので、ひっくり返したときに鉄板で焼かれた焼きそばがカリカリとした食感が楽しく、最後まで飽きずに食べることができます。
 小麦粉やキャベツという基本の材料は同じでも、全ての具材を混ぜてから焼くタイプのお好み焼きとは一味も二味も違った食感と味はやみつきになること間違いなし。

あれ?これは「重ね焼きのお好み焼き」ですね。ということは、「染太郎」の開店時点では「重ね焼きのお好み焼き」を出していた可能性が高いのではないでしょうか*2

風流お好み焼 染太郎
〒111-0035 東京都台東区西浅草2-2-2
2,000円(平均)1,000円(ランチ平均)
r.gnavi.co.jp

となると、「混ぜ焼きのお好み焼き」は、大阪起源の可能性もあると考えられます。

「しらべぇ」の記事の真偽は?

結論から言うと「ほぼ信憑性はない」と考えられます。理由としては、以下のことがあげられます。

  • 「大阪のお好み焼きは韓国起源」「東京のお好み焼きは韓国起源」→「混ぜ焼きのお好み焼きは韓国起源」の具体的根拠がない
  • 「混ぜ焼きのお好み焼きは東京起源」と主張がすり替わっている

主張がすり替わっている根拠は、2番目の記事にある

広島県民の男性が言っていた「韓国起源の混ぜ焼きのお好み焼き=東京の素人が自分で焼くお好み焼き」といった可能性が出てきた。

という一文です。その後、在日韓国人が経営する店の話とか出ますが、全く「起源」の話とは関係ありません。そして、最後の段で、

東京は当時の「洪 思翊」陸軍中将など朝鮮出身の司令官がいるなど、戦時中から貴族階級の朝鮮文化を取り入れやすく、戦後には在日韓国人が起業した会社も少なくなかった。

きっと大阪に比べキムチも食べられていたし、チヂミの作り方を知っている朝鮮の料理人もいたはずだ。

そして時が経ち食糧事情も改善したころ、素人が焼く下手さを東京に集まるさまざまな食材を使い、チヂミのように最初から混ぜることで美味しさをカバーした、『東京風お好み焼き』が生まれたのではないだろうか

と、ぱっと見でも根拠のない主張でごまかしてます。

ということで、「ほぼ信憑性はない」と考えられます。

戦前の「お好み焼き」の実際はどうだったのか?

この項は明確な根拠がありません。諸説の一つとお考えください。

Wikipediaの「お好み焼き」の項を見ると、大正後期から昭和6年ごろまでに「お好み焼き」という言葉が誕生したようです。

ja.wikipedia.org

なぜ「お好み焼き」という言葉ができたのでしょうか?「客が自分で焼いて楽しむ」「東京の花街において、座敷にしつらえた鉄板で客が自分の「好み」に焼く風流な遊戯料理として誕生した」からという理由があるようですが、それだけではないと考えます。Wikipediaの「どんどん焼き」の項を見ると、以下の記述があります。

ja.wikipedia.org

1931年(昭和6年)頃、東京の屋台や縁日で「どんどん焼き」が評判になった。その後、昭和前期頃までは東京・下町界隈などでもよく見られた。作家・池波正太郎は少年時代に東京浅草在住で、どんどん焼きを実際に多く食べ、その思い出や商品内容を多くの著作に書いている。それら著作によると、当時の商品内容は現在のお好み焼きに近い物の他、食パンを三角形に切ったものへ卵を入れて溶いた小麦粉を塗って焼きウスターソースをかけた「パンカツ」、溶いた小麦粉を小判形にのばした上に牛・豚の生肉薄切りをのせて再度小麦粉を振り乾かないうちにパン粉をかけて両面を焼いた「カツレツ」、溶いた小麦粉を細長く伸ばして豆餅と餡をのせて巻き込んで焼き黒蜜をかける「おしる粉」など、今では余り見られなくなったメニューも多く存在した。

(中略)

どんどん焼きとは鉄板焼き料理全般を指す言葉でもあったようである。

これを見ると、「客が自分で焼いて楽しむ『どんどん焼き』」ということを表現する言葉が必要になったのだと考えます。また、以下の記述もあります。

また浅草の老舗お好み焼き店「染太郎」では、「お染焼」という名称で戦前式の作り方のお好み焼きが販売されており、さらに「パンカツ」や「しゅうまい天」といった独特のメニューが現在も残されている。

「染太郎」の「お染焼き」は「重ね焼きのお好み焼き」でした。ということは、戦前の「お好み焼き」は「重ね焼きのお好み焼き」であったと考えられます。そして、東京から大阪に伝わった「お好み焼き」も「重ね焼きのお好み焼き」であったと考えられます。

「混ぜ焼きのお好み焼き」と「チヂミ」の関係は?

「チヂミ」とは?

 「チヂミ」は、小麦粉などの「粉」と、枝豆やニラ野菜などの様々な魚介類を一緒に入れて焼く「パンケーキの一種」です*3
基本は小麦粉・米粉・水・卵にいくつかの具を入れるのですが、これにキムチが入ったり、海鮮物が入ると「キムチチヂミ」「海鮮チヂミ」などといった、その名が冠された料理になります。「チヂミ」という呼び方は、日本だけの様です。韓国の慶尚地方では昔から「プッチンゲ」のことを方言で「チヂム」と呼んでいました。日本に住む在日韓国人に慶尚地方出身者が多かったため、この料理のことを訛って「チヂミ」と呼ぶようになったという説があります。本来は、「ジョン」であるとか、「ブッチンゲ」という呼び方が主体で、基本的に炒めた汁物の少ない料理という意味があるようです。

 

「チヂミ」(ブッチンゲ)の歴史

 「チヂミ」の歴史には諸説あり、はっきりしません。いくつかの説をあげます。

 ただ、「ジョン」の中には、明らかに「お好み焼き(パンケーキ)」ではなく、「天ぷら」的な料理が含まれてます。

韓国のチヂミ(ジョン)いろいろ! ピンデトック ピンデットッ ヘムルパジョン 韓国のチヂミ 韓国のジョン キムチジョン プチュジョン ブチュジョン キムチチヂミ ニラチヂミ 海鮮ねぎチヂミ カムジャジョン トングランテン トットリジョン メミルジョン マッコリ ブッチムカル チヂミの粉粉モノ

www.seoulnavi.com

「天ぷら」のような「ジョン」は、日韓併合時代に「天ぷら」が原型ではないかとを考えると、「パンケーキ」的な「チヂミ」(ブッチンゲ)は、日韓併合前から朝鮮半島で食べられていたのではないかと考えます。

「チヂミ」(ブッチンゲ)は「混ぜ焼きのお好み焼き」の元になったのか?

この項は明確な根拠がありません。諸説の一つとお考えください。

 「混ぜ焼きのお好み焼き」が出現するまで、日本列島には「 粉と具材を混ぜて焼く文化」がなかったことは間違いないと考えます。一方、日韓併合前より、朝鮮半島には「 粉と具材を混ぜて焼く文化」があったと考えます。この二つから、少なくとも「チヂミ」(ブッチンゲ)が「どんどん焼き」に影響を与えて(融合して?)「混ぜ焼きのお好み焼き」が生まれたのではないかと考えます。

Wikipediaの「お好み焼き」の項には、以下の記述があります。

ja.wikipedia.org

キャベツを用いる混ぜ焼き式の「お好み焼き」は近畿地方を中心に戦後急速に浸透し、全国各地で洋食焼き・どんどん焼きからお好み焼きへと料理の名称と調理法が更新されていった。

 

日本コナモン協会」の情報を見ると、昭和10年代に「生地と具を一つのカップで提供し客が混ぜて焼く方式が出現」とあります。「戦後急速に浸透し」ということは、「混ぜ焼きのお好み焼き」は、戦中または戦後直後の食糧難の時期に成立したのではないかと考えます。

ここまでのまとめ

 「どんどん焼き」と「大阪のお好み焼き」は関係あるのか?

「大阪のお好み焼き」は、豚肉など一部の具は練り込まずに、生地の上にのせて焼きます。また、「大阪のお好み焼き」のメニューには「モダン焼き」があります。このメニューは、「混ぜ焼きのお好み焼き」に「中華そば」または「うどん」を載せたものです。これらは「重ね焼き」の要素も持っていると感じます。これは、同じ重ね焼きである「どんどん焼き」の影響ではないかと考えます。

ざっくりとした「お好み焼き」の歴史

ここまでの内容から考えると、「お好み焼き」「もんじゃ焼き」の歴史は、次のようになると考えられます。

「混ぜ焼きのお好み焼き」は「大阪起源で東京などに伝わった」ということでしょう。

 

 

*1:「たこ焼き」は「粉と水を混ぜた液体」を鉄板に流し、具を入れているので「粉と具材を混ぜて焼く」とは違います

*2:お染焼きを「混ぜ焼き」している記事「江戸川乱歩や渥美清が通ったお好み焼き屋!浅草「染太郎」 | icotto(イコット)」もあります

*3:お好み焼き」もパンケーキの一種です

*4:「キムパプ」「キムパ」「キンパ」←「海苔巻き」のように日韓併合時代に伝播した料理は存在する

*5:「キムパプ」は酢飯ではないので「寿司」とは別物